プロレスの歴史を辿る|古代神話からスポーツエンタメになるまで
- 辰也 植松
- 5月13日
- 読了時間: 8分
みなさんこんにちは、
デザイナーのウエマツです。
私たち、プロレスデザインラボでは、「ラボ」という名前の通り、プロレスやそれに関するデザインをデザイナーという視点から研究・考察していくことも大事な活動と考えています。
そこで今回は、「プロレスの起源と進化の物語」に焦点を当ててみようと思います。

まず、プロレスと聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?
大きな歓声が響くリング、ド派手な入場、そして観客の心を一瞬で掴むインパクトのあるマスクやコスチューム。
そのすべてが、“観られる”ために設計された、究極のエンターテインメントであることに異論はないでしょう。
その華やかさの裏側には、長い歴史と多様な文化の積み重ねがあります。
その流れを知ると、今のプロレスがもっと立体的に見えてくるかもしれません。
実はそのルーツは、遥か昔の神話や祭りの中にまでさかのぼることができます。
ギリシャの闘技場、ローマの競技会、中世ヨーロッパの広場、そしてカーニバルのステージ。

プロレスは「スポーツ」としてだけでなく、「見せる文化」として、何度も姿を変えながら生き延びてきた存在なのです。
今回の記事ではマスクや衣装の話は少し脇に置いて、プロレスという文化そのものの「旅」にご案内します。
歴史を知れば、リングの上の一瞬がもっと深く、もっと鮮やかに見えてくるはずです。
古代の格闘と神話──レスリングの原型は宗教だった?

今でこそ、プロレスは“エンタメ”や“スポーツ”として語られることが多いですが、そのルーツをたどっていくと、実はもっと神聖で荘厳な存在だったことが見えてきます。
レスリングの歴史をさかのぼると、古代ギリシャ、ローマ、さらにはエジプトやインド、中国にまで、多様な格闘技の記録や壁画が存在します。
そして驚くことに、それらの多くが「神々への奉納」「宗教的儀式」として行われていたのです。
例えば古代ギリシャにおいて、レスリング(パレー)は紀元前708年から古代オリンピック競技の中核を成し、他の全ギリシャ的な祭典においても重要な位置を占めていました 。
これらの競技はゼウス神を称える宗教的意義を持ち、身体教育や社会生活においても中心的な役割を果たしています。

古代エジプトの壁画には、何十ものレスリング技を描いた図解が残っており、これは技術の伝承であると同時に国の強さや秩序を象徴するものでした。
インドの武術「クシュティ」もまた、宗教的な修練の一環として行われ、心身のバランスと神への奉仕が目的だったといわれています。
つまり、「人が人とぶつかる」という行為は、古代において“ただの戦い”ではなかったのです。
勝ち負けだけでなく、
「なぜ闘うのか」「どのように見せるのか」
そこには祈りや美学、秩序という深い意味がありました。
現代のプロレスが、ただ強さを競うのではなく感情や物語を“見せる”ことに重きを置くのも、こうした歴史の延長線にあるのかもしれません。
私たちは、デザインという視点からプロレスに関わっていますが、その表現の奥にこんな神話的なルーツがあると知ると、リング上の一挙手一投足がもっと味わい深く感じられる気がします。
中世ヨーロッパとカーニバル文化

ローマ帝国崩壊後も、レスリングの伝統はヨーロッパ各地で存続し進化を遂げ、中世の祭り、市、共同体の集まりにおける一般的な催し物となっていきました。
神々の前で鍛錬するような神聖な場から、祭りの広場や街角へ。
つまり、レスリングは“神事”から“見世物”へと、静かにシフトしていったのです。
イギリスやフランスでは、中世の民俗レスリングが村祭りや市の催しの目玉として定着。
騎士たちの武術訓練の一部としても取り入れられ、農民から貴族まで、老若男女が何らかの形でレスリングに触れていた時代でもありました。
中世ヨーロッパにおける民俗レスリングの存続と地域的多様化は、後に「カーニバルレスリング」やプロレスリングの隆盛を支える重要な基盤を築いていきます。
19世紀にカーニバルの興行主がレスラーを求めた際、彼らはしばしばこれらの既存の民俗伝統から人材を引き抜いたり、あるいはその実践者たちに出会い、彼らが興行の環境に適応していきます。
それ以降、観客を魅了する“見せる格闘”へと進化していきます。

たとえば、イギリス・ランカシャー地方で生まれた伝統的なレスリングスタイル「ランカシャー・レスリング」は、現代プロレスの技術的ルーツとも言える「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン(Catch as Catch Can)」の出発点となりました。
このキャッチ・スタイルは、「とにかく相手をどうにか捕まえろ(=キャッチ)」という自由度の高いルールが特徴で、19世紀から20世紀初頭にかけての移動サーカスを通じて進化し、世界中に広がっていったのです。
カーニバルからショービジネスへ

19世紀に入ると、レスリングは民俗的な伝統から離れ、カーニバルやサーカスといった見世物小屋の一部として定着していきます。
ストロングマンのショーでは、力自慢のパフォーマンスや観客への挑戦が行われ、そのショーマンシップと個性的なキャラクターは初期のレスリングのキャラクター形成に影響を与えています。
カーニバルのレスラーやストロングマンが地元の人々に挑戦する「チャレンジマッチ」は、しばしば賭けを伴い、参加を促し収益性の高い結果を確実にするために、ある程度の「ワーク」が含まれていたと言われています。
さらに、この頃のレスラーは、ただ強いだけでは通用しなかったのです。
必要だったのは、観客を惹きつけ、盛り上げ心をつかむ“キャラクター性”と“物語”。
強さだけでなく、見た目、言動、仕草、そして“魅せ方”が問われるようになっていきました。
とくにフランスの大道芸レスリング「ルット・ド・フォレーヌ」や、イギリスのミュージックホールでのパフォーマンスなどは、単なる競技ではなく、ドラマやユーモア、スリルを織り交ぜたエンターテイメントとして発展。
個性的なレスラーたちは“ヒーロー”や“悪役”といったわかりやすい役割を演じるようになり、観客はその物語の中に引き込まれていきました。
また、観客参加型のチャレンジマッチや、賞金のかかった挑戦企画なども盛んに行われ、レスリングはますますショービジネスの色を強めていきます。
このような流れが、のちのプロレスにおける“入場曲”や“煽りVTR”、“セリフ回し”といった演出手法の原型になっているのです。
つまり、プロレスに欠かせない「見せ方」や「ストーリーの演出」は、偶然生まれたものではなく、カーニバルという“娯楽の現場”からの必然だったわけです。
観客に「また観たい」と思わせる仕掛け。それが、プロレスという“演じる格闘技”の核となり、世界中に愛されるエンタメ文化へと繋がっていったのです。
アメリカで完成された“スポーツエンタメ”としてのプロレス
プロレスが“スポーツ”から“エンターテイメント”へと明確に舵を切ったのは、間違いなくアメリカです。
20世紀初頭、アメリカではすでに「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」スタイルのレスリングが主流となっており、観客はスピード感と派手な展開を求めるようになっていました。
そこに登場したのが、「ゴールド・ダスト・トリオ」と呼ばれる3人組のプロモーターたちです。



彼らは、レスリングを単なる競技から“見せるショー”に進化させました。
試合に「時間制限」や「必殺技(フィニッシャー)」を導入し、人気レスラーには“キャラクター性”を与えてストーリー性を持たせ、次第にシリーズ化されたドラマへと発展させていったのです。
観客がただ勝敗を見るだけでなく、
「あのレスラーはどうなる?」「次は誰と闘うのか?」と、
続きが気になるような仕掛けが張り巡らされていきました。
レスラーとの専属契約を結び、才能ある選手を安定的に確保することで初の全国規模のプロモーションを確立していきます。
さらに、実力のある「フッカー」(関節技の名手)をチャンピオンとし、カリスマ性のある挑戦者を立てるというタレントの階層構造を確立しました。

1940年代には、全米のプロモーターたちが連携し、「NWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)」が誕生。
全国を巡業するチャンピオン制を軸に、ストーリーとレスラーのキャラクター性が一致する“連続ドラマ型のショー”が定着していきました。
こうしたプロレスの演出を成立させたのが「ケイフェイ(Kayfabe)」という概念です。
これは「現実を装う約束ごと」。
レスラーたちは私生活でもキャラクターを演じきり、ファンの前では絶対に素の姿を見せませんでした。
とはいえ、実際には多くの観客も“これはショーだ”と気づいていたはず。でも、それでも構わなかったのです。
映画や舞台と同じように、「信じたふりをして楽しむ」。
そんな“嘘を楽しむ文化”が、アメリカのプロレスには根づいていたのです。
その陰には、賭博の影響もありました。
当時、勝敗にお金が動く世界では“確実な結果”が求められたため、事前にシナリオを組む「ワーク」スタイルがますます主流になっていきます。
つまり、プロレスは偶然ショービジネスになったのではなく、観客・プロモーター・レスラーの“三者が共有するルール”として、徐々に洗練されていったエンターテインメントだったのです。
こうしてプロレスは、神殿から広場へ、そしてカーニバルを経てショービジネスの舞台へと姿を変えてきました。
ただ強いだけじゃない。語り、演じ、観客と“約束”を交わす存在へ。
そんな進化の裏側には、文化の融合、観客との暗黙の契約、そして何より「人間くささ」を映す鏡としてのプロレスの姿がありました。
今回の旅では、プロレスが“なぜこんなにも心を惹きつけるのか”の原点をたどってきましたが、もちろん、これで終わりではありません。
次回は、メキシコのレスリング「ルチャリブレの起源」について書いてみたいと思います。
そこから、マスク文化がどのように花開いていくのかについても追って書いていきます。
どうぞお楽しみに。
ウエマツでした。





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