“東洋の神秘”に会いに行く|ザ・グレート・カブキという生き方
- 辰也 植松
- 5月28日
- 読了時間: 8分
みなさんこんにちは、
デザイナーのウエマツです。
プロレスデザインラボでは、
マスクや衣装制作において信頼できるパートナーとの協業が欠かせません。
今回は、紹介記事ではありませんが、
パートナー企業の『Nature Body Plus』のふさのさんからの招待で、

プロレス界の“伝説”に会えると噂の居酒屋に足を運んできました。
その名も「かぶき うぃずふぁみりぃ」

なんとも温もりあふれるネーミングですが、実はこのお店、
あの「ザ・グレート・カブキ」さんが経営されている場所なんです。
プロレス好きとしては夢のような空間。
ファン心をくすぐる写真、グッズ、マスクが所狭しと並ぶ店内。
一歩入った瞬間から、時空がぐっと巻き戻されるような不思議な感覚に包まれます。
今回は、そんな貴重な体験を写真とともにレポートしながら、東洋の神秘と称された「ザ・グレート・カブキ」という唯一無二の存在に少しでも触れていただけたらと思います。
ザ・グレート・カブキとは?

「ザ・グレート・カブキ」とは、プロレス界において唯一無二の個性を放った伝説のレスラーです。
プロレスラーとしてのキャリアは、
1964年、日本プロレスに入門。
本名・米良明久(めら あきひさ)は、故郷にちなんだ高千穂明久のリングネームでデビューしたことから始まる 。
日本プロレスの崩壊後、高千穂は元社長・芳の里の勧めもあり、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスへと活動の場を移す。
全日本では中堅レスラーとして活躍し、サムソン・クツワダとのタッグでアジアタッグ王座を獲得するなど実績も残した。
だが、その待遇は決して満足のいくものではなく、不遇とも言える状況が彼を新天地アメリカへと向かわせる大きな動機となった。
1978年、当初は1年間の約束でアメリカ遠征に出発するが高千穂自身は、
「アメリカへ行ってしまえばこちらのもの」と考え、長期的な活動を視野に入れていた。
そして1981年、アメリカのマットでザ・グレート・カブキというペルソナが誕生する。
これは、1980年末にテキサス州ダラス地区(WCCW)でマネージャーのゲーリー・ハートと出会ったことが大きな転機となった。
このアメリカでの変身は、単なるキャラクターチェンジではなく、自身のキャリアを切り開くための戦略的な一手であったと言える。
ザ・グレート・カブキの象徴と言えば、顔面に施された独特のペイントと、観客の度肝を抜いた「毒霧」である。

ザ・グレート・カブキのキャリアは、アメリカと日本の両大陸にまたがり各地で大きな成功を収めた。
特にアメリカでのブレイクは、その後の彼の運命を決定づけるものとなった。
1980年末から1981年にかけて、テキサス州ダラスのWCCW(ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング)。
マネージャーのゲーリー・ハートと共にザ・グレート・カブキのキャラクターを確立すると、その人気は瞬く間に爆発した。
特に地元の大スターであったフォン・エリック一家との抗争は、WCCWの看板カードの一つとなった。
カブキの活躍は当時の主要NWAテリトリーを席巻し、引っ張りだこの存在となった。
そのユニークな風貌とパフォーマンスは、アメリカのプロレスファンに強烈なインパクトを与え、「ペイントしたレスラー」と言えば真っ先にカブキの名前が挙がるほどであった。
日本凱旋と「カブキ・ブーム」

このアメリカでの絶大な人気は、やがて日本のプロレス界にも届くことになる。
全日本プロレスのジャイアント馬場は、カブキの活躍を無視できず、1983年2月「逆輸入」という形で彼を日本に呼び戻した。
1983年2月11日、後楽園ホールで行われたザ・グレート・カブキの日本デビュー戦は、プロレス史に残る衝撃的な一夜となった。
会場は超満員札止め。
カブキが入場テーマ曲「ヤンキーステーション」に乗って姿を現し、ヌンチャクパフォーマンスを披露。
そして試合開始ゴングと共に天井に向けて緑の毒霧を噴射すると、館内は大きなどよめきに包まれた。
このジム・デュラン戦での勝利は、一夜にしてカブキを日本のトップスターへと押し上げた。
特に少年層からの支持は絶大で、新日本プロレスのタイガーマスクに匹敵するほどの「カブキ・ブーム」が巻き起こった。
凱旋帰国後も、カブキはアメリカでの活動を優先し、高額なギャラとトップヒールとしての地位を維持していた。
全日本プロレスからの度重なる参戦要請に応え、日米を往復する多忙な日々を送った。
1983年2月25日には、愛知県体育館でタイガー・ジェット・シンと壮絶な場外乱闘を繰り広げた。
同年12月12日には蔵前国技館でリック・フレアーの持つNWA世界ヘビー級王座にも挑戦。
試合は反則負けに終わったものの、試合後にフレアーに赤い毒霧を浴びせるなど、強烈なインパクトを残し、この一戦のためにチケットは完売したという。
アメリカのWCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)では、武藤敬司扮するザ・グレート・ムタとの間で、「My son…(我が息子よ…)」と呼びかける親子アングルが組まれたこともあった。


やがてWWF(現WWE)の全米侵攻によりNWAテリトリーが崩壊すると、カブキは活動の拠点を日本へ本格的に移すことになる。
全日本では天龍同盟の一員として活躍。
その後SWS(ブッカーも兼任)、WAR、新日本プロレス(平成維震軍に参加)、IWA JAPAN、東京プロレスなど、数多くの団体を渡り歩いた。
神秘のベールの向こう側:晩年のキャリア、引退、そしてリング外の人生

ザ・グレート・カブキのレスラーとしてのキャリアは、1990年代以降も続き、幾度かの引退と復帰を繰り返しながら、ファンにその姿を見せ続けた。
2002年には新日本プロレスでグレート・ムタのマネージャーとしてマット界に復帰。
そのムタが負傷欠場したことをきっかけに、当初は一度限りの約束で自身がリングに上がることになったが、これが本格的な現役復帰へと繋がった。
その後も様々なインディー団体を中心に活動を続け、ファンに健在ぶりをアピールしたが、2017年、ついに「完全引退」を宣言。
長きにわたるレスラー人生に終止符を打った。
1998年の最初の引退後、カブキは東京都文京区で居酒屋、
「BIG DADDY 酒場 かぶき うぃず ふぁみりぃ」を開店し、
経営者としての道を歩み始めた。
この店は、ファンがカブキ本人と触れ合える貴重な場所となり、プロレス関係者も訪れるなど、コミュニティの拠点としても機能していた。
居酒屋は25年間にわたり営業されたが、家族との時間を大切にすることやカブキ自身の体調を考慮し、2023年12月に惜しまれつつ閉店した。
店内の様子とファン心の暴走


「かぶき うぃず ふぁみりぃ」は、東京都文京区にある小さな居酒屋。
現在は、予約のみでの営業を行っているらしいです(酔っていて記憶が曖昧です)。
L字型のカウンターが印象的なその空間は、一歩足を踏み入れた瞬間から“ただの飲み屋”ではないことを物語っています。
壁という壁には、ザ・グレート・カブキ氏の現役時代の写真や、歴代マスク、試合ポスターなどがぎっしりと飾られ、まさに聖地と呼ぶにふさわしい店内。
その空気に当てられてか、席に着いた頃にはもう完全にファンモード。
料理の写真を撮る余裕などどこへやら、気づけば夢中でマスクや思い出の品々たちの写真ばかりを撮っていました。
この空間の何がすごいって、展示物が「飾り」ではなく「記憶」なんです。
一枚一枚の写真、ひとつひとつのマスクに、それぞれのストーリーと“あの時の熱狂”が詰まっている。
プロレスファンであれば、思わず胸が熱くなること間違いなしです。
「ただのレスラーの店」ではなく、「伝説のリングとファンの記憶が今も交差する場所」。
何よりその伝説を気さくに話してくれるカブキさん御本人がそこにいる。
感動と興奮で“ファン心”が完全に暴走してしまうのも、ある意味では当然のことなのかもしれません。







確かに今の時代、検索すればたいていの情報は手に入ります。
ザ・グレート・カブキさんの“毒霧”誕生秘話も、彼の数々の伝説的な試合の舞台裏も、少し調べれば誰でも知ることができます。
でも、今回実際にカブキさんの口から直接聞いた言葉の数々は、同じ情報であっても、まるで別物のように心に響きました。
語り口、間の取り方、笑いを交えたエピソードのひとつひとつに、人生の重みと現場を生き抜いてきた人の説得力がありました。
何より、目の前で語られる言葉には「体温」がある。
私はその夜、久しぶりに、まるで子どものように目を輝かせて話を聞くという体験をしました。
プロレスの話をしていたはずが、気がつけば“生き方”を学んでいたような不思議な感覚。
インターネットやAIの便利さを否定するつもりはありません。
でも、会って、話して、空気を感じる。
そんな“リアル”に触れることで、心がこれほど動くんだ!
と、改めて感じました。
あの夜、感じた興奮と感動。
何より、
「レッスルマニアの数万人が見ているリング上で、ヒーローレスラーをボコって金をもらう!これが最高に気持ちいいんだよ!」
タバコを吸いながら、ビールが入ったグラスを傾けニヤッと笑う。
そこにいた男は紛れもなく『ザ・グレート・カブキ』でした。
プロレスは、ただの格闘技なんかじゃない。
それは、人が人として生きる姿そのものであり、誰かの心に残る“物語”なんだと、あの夜あらためて思いました。
カブキさん、そして今回招待してくれた、「Nature Body Plus」の、ふさのさん。
本当にありがとうございました。

次回もお楽しみに。
ウエマツでした。

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